
4年制の大学を卒業したが、父が東京で就職することに猛反対。
それならと名古屋の料理教室に通いながら料理の魅力にとりつかれていった。
そこで料理教室の先生との出会いがあり,先生からのひとこと
「佑佳さんなら10年頑張れば教室がもてるわよ」
「当時私は自分に向いているものを探している最中でした。もしかしたらと思っていたときの先生のひとこと。なれば、その言葉を信じて、やれるところまでやってみよう!と思いました。」と佑佳先生はふりかえる。
その後,短大に再入学して,栄養士の資格を取った。
そのときの卒論のテーマは、「若い母親の食意識」。
このとき実態を調査して愕然として自らの料理教室では,母の味を伝えたいと強く思ったという。
卒業後,ホテルオークラ神戸ヘルスクラブに栄養士として就職して9年間栄養指導をした。
平成4年31才のとき,念願のユカクッキングスタジオを設立したが3年目、どうにか軌道に乗り始めたときに、阪神大震災に遭遇。
自宅は半壊、その日,火に包まれた私は叫んでいた。三軒前で火事が止まり,その場所は焼け野原になり、その火事を六甲小学校から呆然と見ていた。
ユカクッキングスタジオの建物は,残ったが中の食器類はこなごなになり瓦礫の山になっていた。この震災でもう,だめだと思ったが,もう一度,自分の本当にしたいことを考えた。
そして,家庭料理の基礎を教える。
「一見地味で平凡に思えるサロンの方針を間違っていないと確信するようになったのも、震災を受けて一番大事なものは何かこうした問いをつきつけられた結果なのだとおもう。」と先生は言う。そして大切なものは人とのきずな。
震災後の2年間は高校の家庭科教師の非常勤講師で教壇にたつ経験をもちました。
ユカクッキングスタジオは今年で設立22周年を迎えることができ、これからは神戸で恩返しの気持ちを気仙沼の人たちに希望のたすきを渡したいと思います。
東北の食材を使ったレシピを考案して教えたり、食を通じた支援活動にも力をいれています。
フォリジャー(Foreger)として神戸ホテル ラ スイートのフレンチのシェフの片腕として必要な食材を探し、アドバイスヤアイディアを提案する食のスペシャリストであり食のコーディネーターをしています!